2010年7月29日 (木)

母へ

 今週初めの7月26日、母が他界した。本人の意思でこの春入院したホスピスで迎えた、穏やかな最後だったという。享年74才。
 母は、不器用な父の商売に付き合い、時折愚痴を口にしながらも、傍らで支え続けた勤勉な人だった。死に至る病に侵されてもなおくじけない、明るく前向きな人だった。お疲れさま、母さん。
 母は、子供の頃弱虫で泣き虫だった僕を、いつも暖かく包んでくれる優しい人だった。いつまでも夢ばかり追っている僕を、あきれながらも応援してくれる、心の大きな人だった。ありがとう、母さん。
僕は、自分の夢を果たし成功した姿を母に見せてあげることができなかった。最後の最後まで、心配ばかりさせてしまった。死に行く母のそばに付いていてあげることもできなかった。ごめんね、母さん。
 僕の結婚後、二人の子供の誕生を何より喜んでくれた母。亡くなるひと月ほど前に見舞いに訪れた際にも、衰えた身体で元気のよい子供たちの相手をしてくれた。亡くなる2日前に訪れた時、既に意識のない状態だった母だが、子供たちの声にかすかに反応したように思う。
 「ばあちゃん」が大好きだった子供たちには、「ばあちゃんは、年をとって、病気になって、身体がダメになっちゃったから、その身体を脱ぎ捨てて、心だけで自由になったんだよ。これからはずっとそばで見守ってくれるよ。」と教えた。子供たちは母の亡骸を恐れる事もなく、最後まで「ばあちゃん、ばあちゃん」と言って見送ってくれた。どうかこれからも、子供たちを見守ってあげて下さい、母さん。合掌。

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2009年1月10日 (土)

妻の入院

 まずは明けましておめでとうございます(遅!)
 で、さっそくおわび。ブログをすっかり放ったらかして2ヶ月経ってしまった。少数だとは思うが、愛読者のみなさんに大変申し訳ない。
 また、この正月は年賀状も1枚も出していない。「あけおめメール」も出していない。年賀状やメールを頂いたみなさんには本当に申し訳ない。
 さ らには、僕が取材活動をしているニュースサイト「0982.tv」でも、僕が担当する西臼杵郡内の話題の掲載が12月以降少なかった。僕があまり取材に出られなかったからだ。読者、および本社関係者に申し訳ない。

 言い訳がましくなるが、この間、当家はちょっとした騒動で大変な思いをしていた。
 実は11月の後半、妻が体調に異変を訴え始めた。当初は「妊娠した?」(心当たりはあった)なんて軽く考えていたのだが…僕らも2度の妊娠・出産の経験者。間もなく、ただの妊娠ではなさそうだ、と不安を感じ始めた。そこで、これまでの妊娠・出産で世話になった延岡市内の産婦人科へ。しかし、原因が特定できないまま「とりあえず安静に」と。
 詳細は省くが、その後何度も延岡の病院に通って検査や処置を受けながら、年末にようやくたどり着いた結論は「子宮外妊娠の流産」というものだった。それも、卵巣妊娠という稀なケースだったようだ。本人は多少の痛みや不調はあっても日常生活には支障のない程度の状態ではあったが、悪化すれば手術が必要となる。
 年末を控えて「即日入院」の指示があったのは12月26日。しかも期限は未定。もう入院や、まして手術にはならない、と高をくくっていた僕は、3歳と1歳の子供を抱えて途方に暮れることになった。年末年始では保育園も頼めず、僕ひとりで子供の世話や家事はもちろん、そして3匹の動物(犬・猫・ヤギ)の世話までこなさなくてはならない。日頃から家事全般を手伝うことが多い僕でも、すべてひとりでやるとなると頭も体も混乱してくる。ゆっくりトイレにも入っていられない。もちろん仕事どころではなかった(僕はフリーランスなので、年末年始だからと言って仕事も休みではない。忙しい時期でなかったのは幸いだったが)。
 心身ともに張りつめた生活が続き胃に痛みを感じ始めた29日、助け舟がやって来た。健康上の不安などから無理と諦めていた福岡の実家の両親が応援に駆けつけてくれたのである。母は僕に代わって台所に立ち、家事が苦手の父も孫たちの相手をしてくれた。感謝感激!
 妻は大晦日に許可が出て一時帰宅。予期せずして両親と家族揃っての正月を迎えることが出来た。両親も、これはこれでうれしそうだ。妻はその後2泊だけして1月2日には病院に戻ったが、年明け後の診療が始まった5日、自然治癒に向かっており手術の必要もないだろうとの判断で、退院となった。両親は9日に福岡に帰り、我が家には日常の生活が戻って来た。
 今回の一件で、妻、そして両親の存在のありがたみが身にしみた。そして、家族揃って健康に過ごせることのありがたさ。やっぱ、当たり前の日常が何よりである。
 

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2007年9月24日 (月)

お彼岸

 昨夜のこと。2歳の長男が、唐突に「ジーチャン シンダ ジーチャン シンダ」と言い出した。ん?今年2月に亡くなった義祖父のことだろうか?長男に「じいちゃん、どこにいる?」と聞くと、天井の角を指差した。
 そう言えば、お彼岸である。仕事や家問題で最近バタバタしていたので、墓参もすっかり忘れていた。爺さんが本格的に化けて出る前に参っておかねば…というわけで、今朝は妻の実家で墓参り。
 ところでお彼岸と言えば、いま自宅前に紅白のヒガンバナがきれいに咲いている。とても勝手に咲いたとは思えない咲きっぷり。

Higan

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2007年3月31日 (土)

鯉のぼり

 昨日、妻子を連れて福岡の実家に帰省した。早速、少し気が早いが鯉のぼりを揚げた。福岡の実家で鯉のぼりが揚がったのは初めての事だ。
 もっとも両親は、鯉のぼりなどより孫との再会の方がよほどうれしいらしいが。
鯉のぼり

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2007年2月12日 (月)

ガンコ師匠・昇天

 一昨日のことだが、義祖父が急死した。若い頃には大陸での戦火をくぐり抜け、晩年には命に関わるような大病をくり返しては命拾いをしてきた人で、高齢でやや弱っていたとは言え、特に最近は元気を取り戻して機嫌が良さそうだったので安心していたのだが…何と、元気ゆえに外出した際の事故が直接の死因である。
 その義祖父の葬儀が今日ようやく終わった。僕は血縁関係から言えば「故人の孫娘の夫」であるが、普段から家族として接していたことと、他の近親者に成人男子がいなかったことから、葬儀を締めくくる遺族代表としての挨拶を任された。そもそも僕は成人して以降、近親者の葬儀への参列経験がほとんどなかったので、いきなりの大役にかなり緊張してしまった。
 ところで、亡くなった義祖父というのは、高千穂町内、特に岩戸地区では名の知られた神楽舞人で、その地区の「師匠」を長く務めていた。本人の神楽舞や太鼓・唄の技量もさる事ながら、もともと頑固で言動の荒い性分だったらしく、後進への厳しい指導でも有名だったようだ。その指導に反発しながらも耐え抜いた舞人達が、今ではこの地区の神楽を支えている。
 そんな義祖父だったが、自分の直系の子・孫では男子に恵まれず、すなわち血のつながった神楽舞人の指導を行う機会に恵まれなかった。ようやくひ孫の代になって恵まれた男子…それが我が長男である。この子の誕生を僕ら夫婦以外で一番喜んだのは、おそらく義祖父だったろう。
 「この子がもう少し大きくなったら、神楽を教えて下さいね」と良く義祖父に言ったものだ。直接の指導が現実的には無理だとしても、せめてあと数年長生きして、この子が夜神楽の舞を披露する姿を見届けて欲しかった。
 息子がいつか本当に神楽舞人としてデビューする日が来るとしたら、その時はきっと義祖父の魂が一緒に舞ってくれることだろう。合掌。
 
 

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2006年12月25日 (月)

メリークリスマス!

 昨日はクリスマスイブ、そして今日はクリスマス。だからといって何か特別なことをすることはないのだが(クリスチャンでもないしね)、妻がどうしても「食べたい!」と言うので注文していたケーキを、昨日のおやつタイムに家族3人でいただいた。息子へのプレゼントは、先日福岡で買って来たアンパ○マンのぬいぐるみ。寝る前に渡したら、テンションが上がってなかなか寝てくれず、参ってしまった。
 一夜明け、妻にも好きなアニメキャラの小物をプレゼントしたら、すごく喜んでくれた。
 アフリカで暮した頃、家族が集い静かに祝うクリスマスのあり方(日本のお正月の感覚に似ている)を見て、恋人たちのイベントと化した日本のクリスマスのあり方に強い違和感を感じたりした。僕たち夫婦は、結婚前の交際中にクリスマスを迎えることがなかった(交際開始から結婚までが短かったから)ので、もしそういう機会があったらどうしたかはわからない。ただ、妻もあまりそういうことにこだわる人ではないので、多分ケーキを食べるくらいで満足してくれたのではないかな、とは思う。
 それはともかく、今こうして結婚して子供ができると、クリスマスとの付き合い方もまた違って来るようだ。贅沢はさせてあげられないけれど、妻や子供が喜んでくれる顔が見られれば、僕にとってはそれが最高のプレゼントかな。メリークリスマス!

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