2014年5月 4日 (日)

でっかいテントウムシ

 ゴールデンウィークの真っ最中だというのに、子供には悪いが、今年も自宅でのんびり過ごさせてもらっている栗原家。
 …で、今朝庭先で遊び始めた子供たちが何やら見つけて来た。「とうちゃん!でっかいテントウムシだよ!」…ふーん…、テントウムシが出てくる季節になったか。…でっかい?テントウムシじゃなくて、他の種類じゃないのか??
 普通ならそれで済む話だが、うちの長男(小3)は1・2年生の夏休みに昆虫採集で自由研究の金賞を連続受賞した奴で、もはや僕より虫に詳しい。そいつが「見たことない、でっかいやつ」というのだから、もしかして本当に「でっかいテントウムシ」かも…。
 そう思い直して、子供二人で捕まえたというその虫を見せてもらった。…うっ!!本当にどう見てもテントウムシだ。しかもバカでかい。僕的にも「見たことない」レベルだった。早速手元にある昆虫図鑑を開いてみた。オオテントウという種類なら載っていたのだが、これとは「ホシ」のつき方が違う。困ったときのインターネット(便利な時代になったものだ)で調べてみると、それらしい写真が出て来た。
 そいつの名は「ハラグロオオテントウ」。オオテントウに次ぐ国内2番目の大型テントウムシなんだそうだ。桑が食草桑の木につく虫が餌らしいが、この付近にあったけかな??ま、子供の話だとかなり弱っているということなので、冬眠明けの奴がフラフラ出て来たのかもしれない。
 ちょっと珍しいらしい、ということで僕が直々に写真を撮ることにした。とはいえ昆虫写真は専門外だ。「マクロレンズに…ストロボは…ま、これでいいや…」てな感じで、あたふたと準備。子供にテントウムシを持たせてしばし撮影。ま、とりあえず記録として撮れればいいかな。

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2013年12月17日 (火)

クリスマスとサンタクロース

 高千穂は「神様」の町だが、サンタクロースはちゃんとやってくるようだ。かつて寂しい一人暮らしだった頃はクリスマスもサンタも関係ない生活をしていたものだが、結婚して子供ができてからというもの、毎年欠かさずサンタがやってくるようになった。

 小学校2年生の長男と、幼稚園年長組の次男。今年は夏くらいからすでに「クリスマスは○○が欲しい」とか「サンタさんに○○をお願いする」とか言い出した。やれやれ…。
 長男には2年ほど前からこう言い聞かせている。「サンタさんは、君が欲しいと願ったものをくれるとは限らないぞ。もちろん、○○が欲しいとお願いしても構わないけど、違うものが来るかもしれない。でもそれはサンタさんが今の君に何が必要か、何が良いかを考えた上でプレゼント選んでくれるからなんだ。」最近は次男にも良く言うのだが、まだまだ理解はしてくれていないかな。

 サンタといえば、少し前に長男が「サンタクロースって本当はいないんでしょ?○○くんが言ってた。」と言い出したことがある。僕は笑い飛ばしてやった。「知らないのか?サンタクロースを信じなくなった子のところには、サンタさんはもう来ないんだぞ。」長男は「えっ!」と驚いた様子だったが、すぐにサンタさんを信じる心を取り戻したようだ。

 そんな息子たちもいずれ、かたくなに「サンタなんていない」と言い出す日が来るのだろう。それも子供たちの「成長」の一歩だと思う。けど、そのときはこう言ってやろうと思っている。「大人になって自分の子供が出来たらきっと分かるよ。やっぱりサンタは本当にいるんだ、って。」

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2013年5月29日 (水)

シュレーゲルアオガエル

 パワースポットとしてすっかり有名になった高千穂の人気観光地のひとつ「天安河原」には、一角にシュレーゲルアオガエルの産卵地がある。
 シュレーゲルアオガエルというのは一見するとアマガエルを少し大きくしたような感じだが、よく見ると目元の黒い線がない。樹上に泡で包まれた卵塊を産むことで知られるモリアオガエルというのがいるが、これに近い種類だ。コロロ…という甲高い声で鳴く。
 ま、いるところには結構いる種類で、すごく珍しいと言う訳ではないようなのだが、毎年ここで見かける卵塊(本種の場合は水辺の地上に産む)の親ガエルをまだ見ていなかったのと、できたら産卵の様子を観察したくて、気になっていた。
 今シーズン、最初に卵塊アリの情報が入ったのは今月14日だった。以後、暇な時に足を運んで卵塊が徐々に増えている事は確認したが、親ガエルはなかなか姿を現さなかった。両生類は全くの専門外で、いったい何時ごろ産卵するのやら?何か気象条件でもあるのか?と悩んだ。
 その後、南九州地方は一昨日(27日)梅雨入りした。そして昨日の正午頃、小雨の降る中、観光客の案内で天安河原を訪れると、なんと念願の親ガエル、しかもメスの背中にオスがしがみついて、産卵直前の状態だった。やっぱ、カエルと言えば、雨って訳か。
 コンパクトカメラで何とか数カットを撮ったものの、写真屋としてはこれで満足していられない。今朝は撮影機材一式を抱えて現場へ。雨は上がっていたため出て来てくれるか心配だったが、天安河原宮に祈願したのが効いたのか…現れました、カエルのカップル!2時間ほどかけて産卵の様子まで観察することができた。
 写真は観光客が行き来する足下で産卵の様子を見せてくれたシュレーゲルアオガエルのペア。
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2013年1月 7日 (月)

新年のご挨拶

遅くなりましたが、新年明けましておめでとう御座います。
多くの方から年賀状を頂きましたが、お返事が間に合っておりません。実は、秋に親族に不幸がありまして、年賀状は欠礼させて頂いています(…ウソです。最初からマトモに年賀状を出す気がない人なんです)。
さて、昨年を振り返ってみると、日本クマネットワークによる九州クマ調査団がやってきたり、その後は私自身も久しぶりに無人カメラによる調査を頑張ったり、一方で環境省レッドリストによる「九州クマ絶滅宣言」があったり、秋には傾山で目撃情報があったり…お陰でマスコミ取材・問合せも多かったですし、「クマ」関係が何かと忙しい1年でした。今年こそは「クマ発見!」で忙しくなると良いのですが、どうなりますか?
年末年始はここ数年のお決まりで「子守り」と「家族サービス」に忙殺されておりました。今日やっと解放された所です。ま、仕事が少なくて暇な身なので文句も言えないのですが、そろそろ忙しく仕事した日々を取り戻したいですね。
年末に頑張って育ちすぎた庭木の剪定を始めたのですが、まだ終わっていません。で、切った枝が大量にでたもので、乾燥させて薪として使えないかと思っています。とりあえず昨年庭の片隅に作った「焚火カマド」と兵式飯盒(はんごう)があるので、飯盒炊爨(はんごうすいさん)なんかしながら考えたいと思っています。子供たちもそろそろ、そういうのを喜ぶ年齢になってきましたし。

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2012年7月21日 (土)

梅雨明けはまだか?!

梅雨明けが待ち遠しい。全国的には梅雨明したと言うのに、九州だけ取り残されている。そして熊本県や大分県を中心に九州北部を襲った豪雨は大きな災害を引き起こした。
高千穂に関しては大きな被害はなく、アクセス道路にも特に問題はないため、町民生活や観光への影響は最小限で済んでいる。しかし、上記の災害は対岸の火事ではない。
もともと高千穂に来られる観光客は熊本市内や阿蘇地方、そして別府・湯布院といった大分県北部の観光地と抱き合わせのことが多い。これらの地域の観光で客離れが起こると、高千穂にも波及しかねない。実際に被災地はもちろん、その周辺地域てすでに風評被害が広がっているようだ。もともと被害が無かったり、すでに復旧しているにも関わらず、客足遠のいてしまうのである。
同様の災害による観光業の風評被害は平成17年の台風による水害に伴って高千穂も経験している。私自身も絵葉書販売業の不振が続き、事業撤退も真剣に考えたほどだった。立ち直れたのは東国原前知事のお陰だ。

今、私なりに被災地とその周辺の応援のため、九州地方の道路交通規制に関する情報を集めたリンク集を作って下記で公開している。1週間で1700をこえる閲覧があった。1人でも多くの観光客の引き止めに繋がればと願っている。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n90320

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2012年4月 7日 (土)

天浮橋

 またまた長い事投稿をサボってしまったので、書くべき事はいろいろあるのだけれど(長男の卒園・入学とか、クマの話とか)、今日は全くの新ネタ。
 近年、天岩戸界隈の町づくり活動のお手伝いをしたり、天岩戸案内人として観光客のガイド活動をやったりしている僕だが、その過程でずっと気になっていたことがある。古い資料を見ると天岩戸神社の横を流れる岩戸川に「天浮橋(あまのうきはし)」というものがあって、神話史跡というか、名所として知られていたようなのだ。少なくとも戦前から戦後(昭和20年代後半くらい)の観光資料にはその名が出てくる。
 「天浮橋」というのは日本神話の中のいろいろな場面に登場する橋の名前だ。神話の世界に出てくる地名が実際に存在しているのはこの高千穂町、特に天岩戸界隈ではごく普通の事なのでそれ自体は驚くべきことではない。ただ、問題は、それが今現在見ることが出来ない、という点だ。
 そもそも、この「天浮橋」の正体がなかなか分からなかった。例えば江戸時代の古い記録『高千穂旧記』(元禄4年)によると「晴天の時は自然自然と橋の影うつる 里人折々これを見る」(文字表記は読みやすく改変。以下同様)なんて不思議な表現で登場する。何らかの自然現象なのかも、と思っていたが、最近になって入手した資料『日向地誌』(平部嶠南、明治17年)の一節に「両岸より両岩突出する 各2間余り その中央絶ゆ その間相距へだたる 1間4尺 流水岩の上下を行く 岩水中に浮かぶがごとし」というのを見つけ、ようやくその実像がはっきりしてきた。橋のような形状の岩が両岸から張り出し、それが水面下で影のように見えていたわけだ。これは面白い。
 さらに最近話をした地元のご老人の話で、随分前の大水の際に土砂に埋没したらしいということまで分かった。見当たらない訳だ。
 それにしてももったいない。もし、土砂の中に埋没したまま原型を保っているならば、ぜひ掘り起こしてその姿を見てみたいものだ。もしかしたら、県指定の名勝・天然記念物くらいにはなるかもしれない。場所が天岩戸神社の東西両宮の中間地でもあるので、観光資源としても大変魅力的だ。
 ただ、知人の建設関係者にこの話をすると、工事予算1000万円では難しいだろうとの意見。この不景気に大変な数字だが、夢のある話である。と言う訳で、いろいろと地元関係者に話を広めているところだ。
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2012年2月17日 (金)

新しい相棒・JB23

 先週から我が家を吹き荒れたインフルエンザの猛威(二人の子供と妻がダウン。なぜか僕だけは無事)がやっと収まって、ほっとしているところだ。確定申告の季節なのであまり気を抜く暇はないのだが、10日間ほど子供らの看病と家事に謀殺された後なので、ちょっと一息である。
 ブログ更新をサボって久しいのでネタ的には古いのだが、今日は新しい相棒を紹介したいと思う。昨年11月から故障を繰り返していた旧愛車・ジムニー(JA11)を年末に諦め、代わりに先月我が家にやってきたのが現行型(JB23)ジムニーのこれである。現行型といっても約10年落ちの中古車(走行64500km!)だが、前のジムニーが約20年もので16万km以上走っていたから、年式にして約10年、走行距離にして約10万キロ若返った計算になる。もちろん、乗り心地や装備の充実は別世界である。
 本来マニュアルミッション派の僕なのだが、AT免許の妻への配慮もあって今回はAT車だ。必要に応じて妻の車と交換して乗ったり、運転を代わってもらったりできるようになったメリットは大きい。AT車となったことで燃費が心配だったが意外と良いので驚いている。
 もう一つ驚いたのは意外と小回りが利くことで、今まで切り返しが必要な場面で一発で回れるようになった。これは狭い田舎道ではとても重宝する。
 あと、このジムニーはスキーヤー向けの特別仕様車らしく、シートヒーターやドアミラーヒーターなどの冬装備が充実している。以前から使っていたスタッドレスタイヤも履いているので、納車早々、冬の高千穂で大活躍だ。
 また、これは旧ジムニー(商用型)が異例だったとも言えるが、後部座席が簡易なベンチシートから、シートベルトが装備された座席に変わった。安心してチャイルドシートを使って子供を乗せられるようになったのも、子育て中の当家にとっては大きな進歩だ。
 良い事ずくめだが、問題が2つ。一つは荷物。後部座席が広くなった分、後部の貨物室が狭くなった。後部座席を畳めば結構のるのだが、子供を幼稚園に迎えに行く時は、後部座席への出入りを確保するために助手席にもあまり荷物はつめないので、大した荷物は載せられない。
 あともう一つは、支払い。お金がなくて5年ローンを組んだのだ。今後の支払いの事を考えると頭が痛い。

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2011年2月21日 (月)

柄にもなく勤めにでたものの…

 ここ一ヶ月ほど、ある事業所での仕事に勤務していた。このシーズンは毎年ヒマになり、同時に収入が寂しくなるが、今年は定期の仕事(かつての専門学校講師や取材の仕事)が一切なくなってしまい、さすがにアルバイトでもしなきゃやっていけない、と考えたためだった。
 ただ、僕はフリーランスとして時間に縛られない生活が長い。アルバイトとは言え毎日勤めに出るのは、かれこれ10年ぶりだと思う。それに今回の仕事は、パソコンや書類を見ながらの確認作業や、お客さんとの電話対応といった室内でのデスクワークで、はっきり言えば僕らしからぬ職種だ。忙しさにはムラがあってヒマな日も少なくなかったが、妙に気疲れする仕事だった。とは言え、仲良くなった同僚たちと仕事をしながら過ごすのは、なかなか楽しい時間でもあった。
 この仕事、当初は3月末までの予定で引き受けたのだが、実は僕の側の希望で早く辞めることになった。理由は、簡単に言えば「毎日の勤めは、僕には向いていない」という事だろう。
 実は、最初1週間勤めて休みをもらったところで熱を出した。今にして思えば新型インフルエンザだったようだ。ただ予防接種をきちんと受けていたこともあり、当初「普通の風邪」と判断した(医師の診察も同様だった)が、これがいけなかった。そして僕には本業(写真業)があり、その「休み」にも休めなかった。休むべき時に休めなかった僕は、大きく体調を崩して久しぶりに高熱を出し、次の週の勤めはほとんど休むはめになった。
 時を同じくして、長男が急性中耳炎で延岡の病院まで通うことになったり、次男が結膜炎を起こし登園禁止となったりした。普段ならこういう時、僕と妻で交代で病院に連れて行ったり、子守りをしたりしてきた栗原家。しかし、今回は僕の病気と、病後には出勤のため、妻1人に大きな負担がかかり「有給」とは言え連日勤めを休むことになった。以前は「収入が減ったのだから」とアルバイトに出る事を僕に促して来た妻が、とうとう「仕事は辞めていい」と言い出した。
 3月になると僕の本業が徐々に忙しくなるはずで、同時にバイトもはるかに忙しくなるようだった。有給休暇を使いすぎた妻もこの後は休みが取りにくくなる。このアルバイトと僕の本業や家庭との両立は困難と判断した僕は、雇い主に対し早々に退職を申し出た。交代要員が必要と言われ人探しに苦慮したこともあったが、申し出から2週間後の昨日、無事この仕事を辞めることができた。僕はこうして、かつての貧乏フリーランサーに戻った。
 今日は、連続7日勤務明けだったこともあり本当はゆっくり休みたかったが、次男の耳の治療(幸いこちらは中耳炎ではなかった)のため延岡まで往復。明日以降も私用や仕事の予定が入っている。「貧乏ヒマ無し」とはよく言ったものだ。

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2011年1月 3日 (月)

新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。
 高千穂は(というか全国的な傾向ではありましたが)大雪に見舞われた年末年始となりました。自宅前の道はちょっとした急坂な上、この季節はあまり日当りがよくないこともあり、大晦日から元旦にかけて複数の車が立ち往生したり、諦めて引き返したりするような状態となりました。おかげで当家では普段あまり本領を発揮する機会がない我が愛車ジムニー(スタッドレスタイヤ付き)が久々に四輪駆動車らしく大活躍。初詣はもちろん、元旦を除いて出勤だった妻を送迎し面目躍如と相成りました。
 私自身は妻が不在の間はひたすら二人の男の子の子守りという年末年始…いやいや、まだ終わってません。幼稚園再開までは子守りの日々でございます。近年仕事が急速に減って妻に迷惑をかけている身としては、文句は言えません。がんばります。

 昨年は一昨年に再開したクマ探し活動も資金難やら身内の不幸やらあって再び休止状態となり、悔しい思いをしました。ただ、一方でこの九州産クマ問題に関して2度の学会発表、そして過去10年間の目撃情報をまとめた報告文を学会誌に発表(年末に発行されました…日本哺乳類学会「哺乳類科学」)することができ、より多くの方々にこの問題を知ってもらうことができた年でもありました。

 今年こそはクマ探しでも稼業でも、より着実な一歩を踏み出せるよう頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 あ、そうそう。喪中ということで、このたびは年賀状は遠慮させていただいただきました。また、喪中挨拶も(はっきり言って経済的理由から)省略させていただいております。あしからずご了承ください。

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2010年12月24日 (金)

若者よ、安らかに眠れ

 高千穂の知人が急に亡くなった。それも、わずか30才という若さで。世間がクリスマスに浮かれている今日、僕は生まれて初めて自分より若い人の葬儀に参列した。
 故人のお母さんは宿泊施設を経営し、僕がクマ探しで高千穂に通い始めた当初からずいぶん世話になったが、その縁で息子さんである故人とも知り合った。4人兄弟の末っ子ということもあってか、お母さんが人目もはばからず成人した息子を可愛がる様子が印象的だった。近年は本人も「2代目」として家業を継ぐ覚悟を決めたようで、母親に代わって仕事に精を出す姿もよく見られた。僕は彼と話す機会が多かった方ではないとは思うが、それでも時折、高千穂の観光にまつわる諸問題など語り合ったりしたものだ。
 そんな前途ある若者を襲ったのは急性の心臓疾患だったらしい。持病があったとは聞いていない。むしろ僕などよりがっしりしたスポーツマンだった。若く独り者だったので多少の不摂生はあっただろうが、それにしても若すぎる死。泣きじゃくるお母さんの姿が痛々しい。
 今年、僕は実母のほか叔父の葬儀も経験した。年配者にはいずれ「順番」が来るものだし、45才となった僕の身の回りで葬式が多くなるのも必然だ。特にこの2人の場合は、もともと覚悟しておくべき状況があった。
 僕は今回の若者の急逝では、ある意味実母の死よりショックを受けた。そして、自分の2人の息子たちを重ね合わせ「どうかこんな思いはさせないでくれよ」と切に願った。

 心より故人のご冥福を心お祈りいたします。合掌。

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